刺繍業を営む株式会社笠盛が2010年に始めたアクセサリーブランドが、私たちトリプル・オゥです。
「刺繍屋が、糸のアクセサリーを作る。」一見、簡単なことのように思えるかもしれません。でも、私たちが自分たちらしいアクセサリーを作ることができるようになるまでには、長い道のりがありました。
ここでは、トリプル・オゥというブランドが生まれるまでのストーリーをご紹介します。
一緒につくる刺繍集団、笠盛の誕生
機屋から刺繍業へ
明治時代、日本のファッションを語る上で、時代の波が大きく動いていた頃です。人々の着るものがだんだんと着物から洋服へと形を変えていく。
そんな時代の流れとともに、私たちも機屋から刺繍業へ。
最初は、靴下のワンポイントを刺繍するところから始まりました。
そのうち和服の刺繍なども手掛けるようになり、徐々に世界的なファッションブランドからの依頼を受けるほどにまで技術を高めていったのです。
現在でも世界中のファッションブランドを始め、和装や歴史的な装飾品の補修など、さまざまな刺繍を任されています。
「一緒に」商品を作っていく
私たちが大切にしているのは、ブランドと一緒にものづくりをする姿勢。シーズン毎に流行や方向性を話し合いながら、それぞれのブランドに合った笠盛の技術を提案をしています。
ブランドによって違う、守りたいものを理解すること。そして、ただ請け負うだけではなく「一緒に」商品を作っていくのが、笠盛という刺繍集団の信念です。
新しい刺繍の形をさがして
「これまで培ってきた技術で、『新しい刺繍の形』を作れないだろうか」
長年、ファッションブランドの刺繍を請け負ってきた笠盛に新しい風が吹いたのが、2005年。
デザイナー・片倉の入社をきっかけに、『刺繍の新たな形』の模索が始まりました。
糸という素晴らしい素材が持つ可能性、これまで積み上げてきた技術の活用。新たな発想をもとに試験的に作ってみたのが、トリプル・オゥの前身となる「笠盛レース」でした。
水溶性不織布×かぎ針刺繍
レースには、編み針で編んでいくものもありますが、実は「水溶性の不織布」と呼ばれる水に溶ける布に刺繍をする方法もあります。
土台となる生地が溶けることで刺繍のみが残り、レースとなるのです。
普通の生地に比べて扱いが難しい布ですが、そこに私たちが得意としていた「かぎ針刺繍」を組み合わせることを思いつきました。
表現の幅が広がった
かぎ針刺繍は、ニットのようなやさしい風合いを持つ刺繍方法。
ニットのようでありながらも、ニットにはできない装飾を施したり、他の種類の刺繍と複合させることができたりと、表現の幅が広がります。
当時、かぎ針刺繍の技術を持つ刺繍屋は限られており、さらに、それを溶ける布に刺繍するなんて発想は、誰にもはありませんでした。
「生地に刺繍をしない」
ニットのような風合いを持つ、不思議なレースで作り始めたのは、服飾パーツです。
通常、刺繍の仕事ではブランドから生地をお預かりして刺繍します。もし、生地に直接刺繍せずに、レースやパーツをブランドの洋服に後からつけてもらうことができたなら。
そこから、今までにはなかった新しい出会いやチャンスがあるのではないか。そんな気持ちが「生地に刺繍しない刺繍」につながったのです。
私たちが得意としている機械と手仕事の両方を生かした、ぬくもりのあるレース。「笠盛レース」と名付けた手法でできる、新たな表現を探し始めました。
「自分たちらしさ」の追求
海外でのコンテスト入賞
構想から2年後の2007年。「笠盛レース」を手に、私たちはパリで開かれたモーダモン展示会に参加していました。
世界中からの集まった数々の出展者のなか、笠盛レースは会場で開かれたコンテストで『VIPプロダクト賞』を受賞。
笠盛レースのような製品が、他のどのメーカーにもなかったことが決め手でした。この手法をもっと極めたら可能性が広がるのではないか。そんな希望が私たちの中に広がった瞬間です。
繰り返した中で見えてきたもの
その後、クッションカバーやバッグなど、笠盛レースの活用法としてさまざまな物を作る日々のなかで出会ったのが、アクセサリー。
初めてアクセサリーを作ってみたときに、相性の良さを感じたのです。
糸で作られたアクセサリーは軽くて、アレルギーも気にならない。
糸や刺繍の強みを活かしてアクセサリーが作れたら、使う人にとって優しいものになるはず。
私たちだからつくれるものへ
そして2010年6月、インテリアライフスタイル展に、初めて「000(トリプル・オゥ)」として出展。
当時はアクセサリーのみならず「既成概念にとらわれない刺繍ブランド」として、さまざまな物を作っていました。ずっと追い求めていたのは「自分たちらしさ」と、それが一番お客様に喜んでもらえる形。私たちだから作れるもので、誰かの日常を彩る、そんなものを探し続けていたのです。
そして、刺繍の技術で「自分たちらしさ」を届けることができるのがアクセサリーである、と覚悟を決めたのが2012年。創業から130年、アクセサリーブランドとしての新たな歴史が始まりました。
できない、だけど作りたい
「立体なんて、できるわけないよ」
糸でアクセサリーを作ろう。そう決めたときに反発が大きかったのは、実は社内の職人たちからでした。
「立体なんて、できるわけないよ」「わざわざ自社商品を作る必要があるのか」
確かに、笠盛レースのときと違って立体を作るのは技術的にも難しいことでした。でも、それ以上に、今までやってきたこととのギャップがみんなを戸惑わせていたように思います。
作れるかわからない刺繍
ファッションブランドから依頼される仕事は、自分たちの技術をベースとしながら、できることの少し上を目指すものが多い。
一方で、トリプル・オゥでやろうとしていることは、同じ刺繍の技術を使いながらも、ゼロから何かを作り出すものでした。
今まで培ってきた技術や経験をもってしても、作れるかわからない刺繍。
新しいことに対する不安が、社内から溢れ出していました。
技術革新を諦めない
今持っている技術の中で、作れるものを提供するのは、メーカーとして大切なことです。
しかし、トリプル・オゥで大事にしているのは「できない、だけど作りたい」という想い。
「お客様の生活を、私たちのアクセサリーで彩る」そのために、今は作るのが難しかったとしても、技術を高めていきたい。
その技術革新を、諦めたくないのです。
物を作り出すことの難しさ
ものづくりをする私たちは立ち止まれない、突き進むしかないんだ。
職人たちと話をしながら、なんとか走り出したトリプル・オゥ。
これまで作ったことのなかった形状や刺繍方法の試作を、何度も何度も繰り返しました。
あるときは形が整わなかったり、またあるときは糸が切れてしまったり。
ゼロから物を作り出すことの難しさと尊さを、同時に感じる日々でした。
技術と発想で日常を豊かに
喜んでくださるお客様の姿
最終的に職人たちの気持ちを大きく動かしたのは、実際にアクセサリーを手にとって喜んでくださるお客様の姿でした。
注文が増え、喜びの声をいただくたびに、自分たちのアクセサリーを欲しいと思ってくれる人がこんなにいるんだ、と誇らしい気持ちが芽生えていきました。
作り手と使い手が出会う場所へ
そして現在は、刺繍工房にファクトリーショップを併設。
「そちらに直接行っても買えますか?」というお問い合わせを多くいただいてのオープンでした。
わざわざ県外から足を運んでくださるお客様も多く、ますます私たちが糸のアクセサリーを届けたい相手が鮮明に見えてきたのです。
ファクトリーショップには、デザイナーも職人も、みんなが交代で店に立ちます。
ミシンや仕上げなど、自分たちが担当する工程のお話ができるので、「今日は誰がいるかな」と楽しみに来てもらえたら、と思っています。
私たちにとっても、お客様と直接お話できる楽しみな時間。お客様の声を聞きながら、より喜んでいただけるアクセサリーづくりに生かしていきます。
町の魅力を発信する
また、ファクトリーショップで担いたい、もうひとつの役割があります。
それが、桐生という町と外をつなげる観光案内所のような存在。
トリプル・オゥのアクセサリーがきっかけで、桐生に足を運んでくださるお客様には、この町の魅力をもっと知ってほしい。
そんな思いから、桐生の暮らしや文化を体感してもらえるファクトリーショップにしていきたいと思っています。
最後に
長年続けている刺繍の仕事は、ファッションブランドと一緒にものづくりをする楽しみがあります。
ただ、今までは身につけてくださるお客様と直接会話をすることはありませんでした。自分たちの技術が、目の前の人に愛してもらえる喜び。
今までと違う挑戦の先にあったトリプル・オゥは、今までと違う喜びを、私たちにもたらしてくれたのです。
こうして生まれた、トリプル・オゥ。今では200を超える商品ができました。機屋として創業した140年前から、私たちにできることで喜びを届けたいという想いは変わりません。
「技術と発想で日常を豊かに」
桐生という町で生み出す素材、自分たちらしく積み重ねた技術、刺繍の可能性を模索し続ける発想。ここで生まれる糸のアクセサリーが、お客様ひとりひとりの日常を豊かにすると信じて。